【体験記】教員として働き続けた私が病気休暇を取りました。:3か月目の記録

教員時代

病気休暇を取るなんて考えもしなかった私が、休むことになった話

20年以上、学校の先生として働いてきました。子どもたちの成長を見届けることが大好きで、定年までこの仕事を続けるつもりでした。

でも、そんな私が病気休暇を取り、その後退職を決意することになりました。

病気休暇を取った3カ月目の気づき

病気休暇3カ月目に入ると、少し心が元気になっている感覚がありました。

美容院に行ったり、両親と日帰り温泉に行ったりして、少しずつ日常を取り戻していました。

しかし、休んでいる罪悪感や、たまに来る職場からの連絡に心が支配されているような感覚になり、年度途中で退職したいと再度伝えました。でも、「教育公務員は教育長の承認がなければ辞められない」「公務員には失業手当がない」と説得され、3月末の退職を勧められました。

このやりとりが、教育公務員の世界の「固さ」を改めて感じることとなり、しんどくなってしまいました。

大学時代の友人との再会で感じたこと

このころ、前を向ける気持ちが少しずつ芽生えてきた私は、大学時代の友人に連絡を取ることにしました。教員になってからは忙しく、子育てもあったので、休みの日は家族と過ごすことがほとんどでした。でも、「せっかく平日に時間があるのだから」と友人たちとランチをしたり、お茶をしたりすることにしました。

生き生きと楽しそうに過ごしている友人もいれば、

大病をして病気と共に頑張って生きている友人、

旦那さんを亡くして子どもと前を向いて生きている友人もいました。

その再会を通して、「定年後にやりたいことを思いっきり楽しむ」ということは、当たり前ではないのかもしれないと考えさせられました。

休むことに罪悪感を抱く先生たち

私は病気休暇を取る先生たちをどこか冷めた目で見ていました。「ずるいなぁ」「できない先生なのかな」と思っていたのです。

だからこそ、自分が病気休暇を取るなんて考えもしませんでした。

でも、実際に自分がその立場になってみると、見えてきたものがありました。

教員の仕事は責任が大きく、「自分がいなければクラスが回らない」「みんながんばってるのに自分だけしんどいなんて弱音を吐けない」と感じてしまうことが私は多かったです。

子どもたちや保護者、同僚のことを考えると、「休んでいいのだろうか?」と罪悪感を抱いてしまいます。

でも、私は「とにかく頑張らないと」「みんなに迷惑をかけたくない」という気持ちが強く、無理をし続けてしまった結果、自分ではどうしようもないくらい体調を崩し、どうしても仕事も日常生活も続けられなくなってしまったのです。

病気休暇を取って気づいたこと

病休を取ると決めたとき、私は初めて「休むことも仕事の一部なのかもしれない」と思えるようになりました。

健康でなければ、子どもたちに向き合うことはできません。心が健康じゃないと笑顔にもなれない。

無理をしてしんどい顔で子どもたちの前に立つことよりも、きちんと休んで回復することのほうが、長い目で見れば大切なことなのだと気づきました。

また、病休を取ってみて、

「先生が休んでも学校は回る」ということも実感しました。

このとき、カマたくさんのこの本に出合って、心の底から自分のために生きようって思いました。


学校がつぶれるなんてことはないですもんね。

自分がいなくても、職場の仲間が支えてくれます。でも、家族は私が体調を崩したことで、大きなダメージを受けたように思います。子どもにも主人にも、心配や不安をたくさん与えてしまった。

だから、学校の先生たちには、私は申し訳ないと思うのではなく、「ありがたい」と思うことにしました。

休むことで見えた新しい選択肢

病休を取ることになり、これまでの自分の働き方や生き方を振り返る時間ができました。その中で、「このまま続けることが本当に自分の幸せなのか?」と考えるようになりました。

そして半年後、私は退職を決意しました。

これは決して「逃げ」ではありません。

自分の心と体に向き合い、これからの人生をどう生きていくかを考えた上での選択でした。

同じように悩んでいる先生へ

もし今、体調を崩しながらも「休むなんて申し訳ない」と思っている先生がいたら、ぜひ一度立ち止まってみてください。

先生の健康は、先生自身のためだけでなく、子どもたちや周りの人のためにも大切です。無理をしすぎる前に、自分を大切にする選択をしてほしいと思います。

病気休暇を取ることは決して「ずるい」ことではありません。それは「自分を守るための大切な時間」です。

そして、休んだからこそ見えてくる景色もあります。

私自身もまだ模索中ですが、今だからこそ伝えたいこと。それは、自分の人生まで学校に費やすほど、「無理をしないでほしい」ということです。

先生という仕事を頑張っているあなたが、少しでも心穏やかに過ごせるように。